はきだめ

雑記

レポート

頭が痛い。苦しい。人の喋り声がすべて悪口に聞こえる。日々仕事のできなさを痛感しているが、いよいよその受け皿にも限界が来たかもしれない。

なぜ向いてない仕事に就いているのか。なぜ追いつけ追い越せでしゃにむにもがいているのにこうも実力に結びつかないのか。どうして同じミスを繰り返すのか。本当に社会に向いていない。野垂れ死んだ方がよっぽど社会にとって好都合な気がしてきた。

本当につらい。こうも何もできない人間だったかと自分に驚く。どうやってここまで生きてきたのかと。こうしている今も上司は楽しく談話をしてるが、僕の不出来な仕事ぶりを別の人間と嘲笑しているようにしか聞こえない。また適応障害になるのだろうか。風邪みたいに特効薬があってそれさえ飲んで寝れば治るようだったらいいけど。今度また適応障害になったらもう社会復帰はできないと自分の中で無意識的にレッテルを貼りそうで。本当の本当に何もできない。同しようもない。箸にも棒にもかからない。

アイムオーケー

昔すべらない話で若林が「春日がテレビの企画で潜水に挑戦した時」の話をしていたのを思い出した。

潜水でどこまで進めるかの記録を伸ばすチャレンジで、水から上がったときに意識の有無を確かめるために「アイムオーケー」と言わないと記録にならないらしい。
そこで春日は日本記録に並ぶレベルの大記録を出した後プールサイドに上がり意識を飛ばしてしまい、意識が戻るやいなや「アイムオーケー」と言った、という話。

文字に起こすとまとめるのが下手くそだったりでえらく冗長になってしまった。

色々あって前職と違う業種で働いている。転職に成功した、といっておく。

前職を辞め、転職期間の食い扶持稼ぎで入った飲食店のアルバイトから人のつながりであれよあれよと製造業に携わることとなった。

忌憚なくいうと、製造業=中卒ヤンキーの天職、と思っていた。

切ったり貼ったりが得意で、早くに子供を産んで、週末はドンキかパチンコに行き家族と地元のツレを大事にして一生を終える人間のコミュニティ。

実際はそこまでではなかった。その要素はないとは言わない。やんちゃな人もいるにはいるが、もっとロジカルかつルールが多い。様々な制約の中できちんと納期を守り仕事をこなしている様は僕のイメージを塗り替え尊敬するまでとなった。
しかしいざ自分が仕事場に立つとまあ要領が悪いのなんの。業種や業務内容が変わっても社不であることには変わりなかったようだ。
しまいには上司にタスク管理やタイムスケジュールまで組んでいただく次第だ。情けない。

しかし、友人や家族、恋人は「初めてやる仕事なんてそんなもの」という。

25歳になって、夢を叶えた友人や結婚していった元クラスメイト、仕事に精を出す幼馴染など上り調子の人間が周囲に増えてきた。

鴨川会長よろしく、皆すべからく努力しておるのだが、自分に刺さる矢が痛いのなんの。

プライベートも仕事も周りはよくできた人間だからこそ自分のグズさに辟易する。

夢も目標もないまま、人の目を引かない程度にできが良い上に逃げ癖がついてしまった。勝てる勝負しかしなくなった。言い訳を付けて負けを認めなかった。

そのツケが今回ってきていると感じている。つまり今努力のタイミングなのだ。足がもげようが手がちぎれようが仕事に取り付く。実際雨風が吹きすさぶ中原付を飛ばし仕事の移動を重ねることも度々ある。その度にこれは報いであり罰であり戦いであると感じている。

今戦わないとふぬけた人間になってしまいそうで怖い。これ以上のグズになってしまいそうだ。一度適応障害で休職した手前「もう一度起こしたくない」と「復活したと思いたい/,周知に認知してほしいからしんどい様子を見せたくない」が衝突している。

弱い人間なのはわかっている。それでもその選択を選んだのは自分だから責任は己にある。
だから弱音を吐いても愚痴ってもなんとか仕事はやると決めている。
しかし弱っているところを見られると心配をかけてしまう。彼女に関してはむしろ彼女にとって気休めの存在になりたいのだがあいにくその余裕もないから下手に頼れない。

しんどい道を通っているのもわかっているつもりだ。それでもしんどいから音を上げそうになる。のたうち回る。でも通る。通ると決めたのだから。

今は深い海の底だけれども、いつか水面に上がって水にたゆたい、こうこうと注ぐ陽の光を浴びながら安らげることを願って必死に海を潜っている。

アイムオーケーと言える日が来るまで。